広がるバイオの世界
ドリンク剤などの黄色い成分、ビタミンB2。
私たちが簡単に摂取できるようになったのは、東工大バイオ研究の成果です。
初めて人工生成に成功し、工業生産化を可能にしました。
これと同じように、東工大で行われているバイオ研究は、未来に向けての“種”づくりともいえます。生体を解明し工学的な応用研究を行う「生命理工学部」をわが国で初めてつくるなど、
バイオ研究をリードしてきた東工大で、未来の“種”を探しました。
東工大の「生命理工学」という学部では、生物学の研究で得た知識を積極的に工学的に応用して、幅広く社会に役立つ研究をしています。
そんな研究成果のひとつに洗濯洗剤があります。かつて、洗濯洗剤の箱が巨大だったのをご存知でしょうか?今の約4倍もの大きさで、一度の洗濯に使用する粉末洗剤の量も多かったのです。それが、1980年代後半、洗濯洗剤の箱がずっと小さくなりました。これは、東工大の掘越弘毅名誉教授が発見した、アルカリセルラーゼという酵素を使ったためです。この酵素は、布を柔らかくして汚れを落としやすくするため、それまでカップ一杯必要だった洗剤がスプーン一杯でも十分に汚れが落ちるようになりました。
このように今となっては当然のようにある"何か"でも、実は東工大の研究成果によるものがいくつもあるのです。東工大バイオは、私たちの身の周りのいろいろなものに生きているのです。
匂いを「見る」ための“種”
ふだん、よく耳にする「フェロモン」という言葉。
フェロモンとは、例えばある生物の雌が同種の雄をひきつけるように、同じ生物の別の個体に特異な反応を引き起こす化学物質のことです。動物にはあると認められているフェロモン。しかし現時点では人間にあるかどうかはよくわかっていません。そんなフェロモンや匂いを視覚化して、客観的にとらえる研究をしているのが、分子生命科学専攻の長田俊哉准教授。
「動物がフェロモンを感じるのは、その化学物質が、鼻の奥にある受容体を刺激するから。これは匂いを感じるのとよく似ています。今は、どの化学物質がどの受容体を刺激するかを調べているんですが、あらかじめそれがわかっていれば、匂いセンサーをつくることができます」。
実験で匂いセンサーの役割を果たしているのが酵母です。「実は酵母にも受容体があるんですが、これを動物の受容体に置き換えます。細胞にGFP(緑色蛍光タンパク質)を組み込んでおくと、フェロモンや匂い物質を感知した時、そのGFPが光ります。そういった、匂い物質に反応して光る酵母をつくっています」。
匂いを分類するのは濃度なども関係するので難しいとされてきましたが、これを使うとこれまで個人の感覚や経験に頼っていた「匂い」の感知を視覚化でき、客観的に行うことができるようになります。
「例えば、有害な環境ホルモンなどの化学物質を検出する酵母。そんな酵母をつくれるようになるかもしれません。また人間が病気になると、体から出る匂いが変わってくると言われていますが、その病気特有の匂いを検出する酵母をつくれば、病気の早期発見に役立つでしょう」。
がんの早期発見の“種”
現在、日本人の死因の3分の1を占めている「がん」も早期発見できれば、けっして恐れる病気ではありません。そんな早期発見を可能にする、新しいがん治療法を研究しているのがフロンティア研究機構の小倉俊一郎准教授。
小倉准教授の研究テーマは、アミノレブリン酸によるがんの早期発見と治療です。
「アミノレブリン酸は、アミノ酸の一種で私たちの体の中にある成分です。これをがん患者に投与すると、ポルフィリンという物質が、がん細胞のある部分に溜まります」。
ポルフィリンが溜まったがん細胞に光を当てると、赤く光って見えます。これが、がんの早期発見につながります。
「将来的には、がんの疑いのある患者さんにアミノレブリン酸を飲んでもらい、血液や尿にポルフィリンが混ざっているかどうか検査することで、がんの診断ができたらと考えています」。
実用化できたら、医療界に大きく貢献できるこの研究。しかし、どんなに有意義な研究でも、研究者の力だけでは実用化は難しいといえます。小倉准教授の研究を支援し、その成果を社会に届けるのに一役かっているのが、共同研究を行う企業です。「究極の目標は病気を治すこと。しかし、私たち研究者は、治療薬を製品化することもできないし、人を治療することもできない。企業と医師は大切なパートナーだと思っています」。
そしてまた、研究者にとって大事なのは医師や企業だけではありません。例えば環境に良いとされる商品。これらの大半は様々な研究によって開発されたものですが、まだまだ高価なものが多いのです。けれど、あえてそれを使用する人も増えてきています。私たち一般消費者も、研究の趣旨を理解し、支持していくことが重要になっていくでしょう。
右上:実験の演習ノート。ノートにとりまとめたりしながら、
より高度な実験技術を身につけます。
地球環境を守る“種”
安価で大量生産ができるプラスチックは、私たちの生活には欠かせません。しかし石油からつくられたプラスチックは自然界では分解しにくく、環境問題になることも多いのです。そこで環境にやさしい、エコなプラスチックをつくったのが生物プロセス専攻の福居俊昭准教授。「環境にやさしいプラスチックは2種類あり、1つは自然環境中の微生物によって分解される生分解性プラスチック、もう1つは石油ではなくバイオマス(生物資源)からつくられたプラスチック。私たちが研究しているのは、両方の性質をもつプラスチックです」。そしてそのプラスチックをつくるのは、微生物だといいます。微生物が体内でつくり出すポリエステルが、両方の性質をもつプラスチックとして注目されています。
微生物がつくるプラスチックは、通常硬くてもろいため使いづらい。そこで"柔らかくて加工向きのプラスチックを生成する微生物"を、遺伝子操作でつくろうとしているのです。
「小さな微生物であっても生き物なので、なかなか思い通りにはいかない。そんな中でうまくいった時は、やはり嬉しいですね」。
福居研究室で作成された生分解性プラスチック。
つるつるした手触り。
未来をつくる“種”
生き物に向き合うバイオ研究。生き物から脳の活動データを収集し、さらにバイオと電子工学を融合させる研究を行っているのが、精密工学研究所の小池康晴教授。教授が取り組んでいるのは、BMI(Brain Machine Interface)の実現化。頭で考えただけで、モノを動かせる。そんなまるでSFのようなことを実行させようとしているのです。
「以前から、筋肉の活動を利用して義手を動かすという研究は行われてきましたが、脳の信号を直接解析して、脳波で機械を動かそうというのが、BMIです」と小池教授。現在は、主に猿を使って脳の活動データの収集と解析を続けていますが、小池教授が目指しているのは、体が不自由な人の機能を補完すること。例えば腕の機能を失った人なら、頭で考えただけで思うままに腕の代わりに機械を動かすことができます。
またインターネットを使って、離れた場所のものを動かすことも可能です。日本で考えた動作を世界中で同時に行うなど、BMIは医療分野に留まらない、健常者にとっても大きな可能性を秘めているのです。
運動サポート装置。
左手に持った腕型のアームが右腕と同じように動きます。
これら以外にも東工大には未来につながる“種”の研究がたくさんあります。今はまだ広く知られていない種でも、近い将来に逞しく美しい花を咲かせてくれるに違いありません。
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人間界では嫌われることが多い「加齢臭」。けれどネズミ界では、むしろ雌に人気。加齢臭は長く生きている証拠=丈夫な身体の持ち主ということらしい。そう思うと加齢臭も違った匂いに思えてくる!?
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お酒は材料を酵母で発酵させてつくるが、この酵母もバイオの重要な研究対象。飲むためではなく、授業で発酵プロセスを学ぶため、お酒づくりにチャレンジするなんてこともあるかもしれません。
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私たちの舌には甘味や苦味などに反応する受容体がありますが、ネコやハトには砂糖に対する受容体がありません。良かれと思ってお菓子をあげても、残念ながら気持ちは届かず。ネコやハトには甘党はいないのです。
(2010年取材)