未開発の電波資源
私たちの生活に欠かせない、テレビやラジオ、電話、インターネット......。これらのデータを伝える方法には、「無線」と「有線」の2通りがあります。このうちテレビやラジオといった放送、また携帯電話などに使われているのが、空を飛ぶ電波を使う無線通信です。
電波には波長が長い長波から、短い極超短波、ミリ波まで、幅広い範囲の周波数があります。そして波としての物理的性質を生かした形で、用途ごとに使用する周波数帯が、条約や法律として定められています。例えば、中波はAMラジオ放送、極超短波は携帯電話、マイクロ波は衛星通信といった具合です。
これまで電波の利用は、主に低い周波数から進められてきました。周波数の低い電波には、障害物の陰まで届き遮断されにくいという利点があります。実は、伝送情報量は高い周波数の電波ほど大きくなるのですが、効率的に送受信することが技術的に難しく、実用化が遅れていました。
しかし近年、高画質化などによる情報伝送量の増加に応えるため、周波数の高い電波の活用が進められています。なかでも注目されているのが、「未開発の電波資源」と呼ばれるミリ波。理工学研究科電気電子工学専攻の安藤・廣川研究室では、高周波数の電波を効率良く送受信できるアンテナを開発。ミリ波の活用に道を開きました。
「アンテナの設計原理は、基本的にどの周波数のものでも変わりません。ただ、ミリ波など周波数が高い電波ほど伝送時に熱に変わりやすく、エネルギーのロスが発生しやすい。そこでいかにこの損失を抑え、送受信の効率を上げていくかがミリ波の活用の鍵になります」
同研究室の安藤真教授は、アンテナ開発のポイントをこう語ります。研究対象は、電磁界理論、アンテナ工学、そして無線通信。研究室で開発された軽量で効率の高いアンテナは、金星や小惑星の探査機「あかつき」や「はやぶさ2」に搭載されるなど、地球の外でも活躍しています。
衛星放送用の高効率ラジアルラインスロットアンテナ。
ミリ波受信に力を発揮する高効率アンテナ
実はアンテナには送信用と受信用の設計原理が同じという性質があります。データとしての電気信号を電波に変えて送り、受け取った電波を電気信号に戻すことによって、無線通信を行っています。送受信される電波の拡がりは用途ごとに要求が異なり(右図)、安藤教授が研究する「導波管アンテナ」は、電波を狭い角度範囲に鋭く送受信するものです。
「導波管アンテナは中空構造で、誘電体を使わないため、エネルギー損失が非常に小さくなっています。ただ通常は複雑な立体構造をしており、大きく、重くて高価とされていました。そのためこれまで軍用のレーダーなど限られた用途にしか使われてきませんでした」
研究室では、新しい動作原理や導波管構造を取り入れ、併せて効率的な設計法を開発することでアンテナを徹底的に簡素化し、民生利用を可能にしました。導波管アンテナには、内部の空間を側壁で狭く仕切って「シングルモード」で動作させるものと、側壁がなく広い空間のまま利用する「マルチモード」の2タイプがあります。前者は電波が壁にぶつかる回数が多い分、後者よりは若干大きなエネルギー損失がありますが、壁の配置で電波の流れをコントロールできるため後者よりは設計しやすく、自動車の衝突防止レーダーなどに実用化されています。後者の代表は「あかつき」に搭載されたラジアルラインスロットアンテナ(Radial
Line Slot Antenna/略称RLSA)。安藤教授はその両方を手がけています。
携帯電話のアンテナは、様々な方向にある基地局と電波をやりとりする全方位型のもの。光を全方向に発する豆電球のような小型のイメージで、世界で進められているアンテナ研究は多くがこのタイプのものです。一方、鋭い電波を狭い方向に送る、レーザーポインタのようなアンテナもあります。衛星放送などから電波の受発信を行うアンテナなどは、距離が遠い分、方向が広いとエネルギーが拡散するので、こちらの大型タイプが使われています。
分野ごとにアンテナ開発の材料がまとめられている。
2枚の金属板で、中空構造をつくるための発泡スチロールを挟んだもの。表面側の金属板には、渦巻き状に約4,000個の穴(スロット)が並んでおり、まるでシャワーヘッドのように、1つひとつのスロットがアンテナとして電波を送信、また受信します。内部が中空(間に挟まれた発泡スチロールは中空と見なして良い状態)で壁もないため、エネルギーの損失が非常に少なく、効率よく電波を伝えることができます。
RLSAは、発泡スチロールを2枚の金属板で挟んだもので、表面側の金属板には多数の穴(スロット)が開いています。壁がないので損失は極めて少ないが、電波は自由に振舞うため、設計は非常に難しいのです。
「効率を最大化するには、すべてのスロットからそれぞれ同じ強さの電波が同時に出るよう、理想的な電波の流れをつくる必要があります。それを壁に頼らず、穴の大きさと配置の工夫だけで行わなければならない。損失はほぼゼロですが、電波の流れが乱れるとアンテナ自体がまったく作動しなくなることがあるため、マルチモードの導波管アンテナを研究し実用化に成功した例は、これまで東工大以外ではありませんでした」
設計には細心の注意を払い、本学のスーパーコンピュータ「TSUBAME」なども活用。スロットは1つひとつサイズを変え外側にいくほど大きくなるよう設計されています。2つのスロットを一組として「く」の字型に配置し、間隔を上手く調整することで反射を抑制し、電波の流れが同心円状に拡がるのを妨げないようにしています。ほかにも様々な工夫が、円盤に詰まっています。
今年度に打ち上げられる小惑星探査機「はやぶさ2」にも、研究室で設計したRLSAが搭載される予定。この時、約30,000あるスロットと、アンテナの信号入力部分をすべてケーブルでつないだ場合、およそ70%が熱になって失われます。一方、中空構造の導波管アンテナなら損失はわずか10%程度。エネルギー効率も感度も高く、構造がシンプルな分、軽く、安価かつ簡単に製造することができます。
アンテナの効率や電波の放射方向を測定する電波暗室。
電波の反射や透過などアンテナや部品の診断に利用する専用の測定機器。
安藤教授が導波管アンテナの研究に携わっておよそ30年。「損失が少ない」というその特質がミリ波の送受信にこそ最適だとして、ミリ波の研究を開始したのが7年半前。時期尚早と言われながらもミリ波の研究を続けてきた努力が、今、大きく花開こうとしています。
「アンテナ研究の面白さは、理論と応用の距離が近いところにあります。電磁気の基礎理論というスタートから、通信での実用化というゴールまでの全体像を見渡しながら、試行錯誤を重ねていける。自分の研究が実用に結びつき、社会で役立てば最高の喜びですね」
研究で大切にしているのは、師事する後藤尚久名誉教授の言葉。
「先生はいつも『天才なんてものは実はいなくて、9割以上が努力の差。努力が一番大切だ』とおっしゃっていました。また、『研究にかけた時間に比例して、成果は上がる』と励ましてもくれた。ご自身は非常にアイディアが豊富だが、失敗も誰よりも多く経験しているという自負、自信がある。その姿勢は今でも見習っています」
粘り強い姿勢が重要になるのは、研究のテーマ選びも同じ。ミリ波が脚光を浴びる今は、実用化をさらに進めるチャンスだとは考えていますが、自分が研究しているものはずっと変わらないと安藤教授。新しいキーワードが次々と出てくるなかで、それを追っていく道もありますが、ずっと続けられるひとつのテーマを突き詰めてこそ、世の中に何かを残すことができるとも感じています。
「研究を通じて社会に貢献する方法は、2つあります。ひとつは現在、社会にある課題に寄与していく、ニーズから考える方法。もうひとつは、優れた特性を持つ物質や技術を開発し、それが何に使えるのかという可能性を探る、シーズを中心に考える方法です。前者はもちろん重要で最近はやりですが、世の中を大きく変えた発見には後者のものも多く、両方が重要。東工大の目標は日本を科学技術で引っ張ることですから、その使命を忘れずに研究を続けたいですね」
電波と無線通信は、歴史の古い研究分野。そのため光ファイバーの通信ケーブルが実用化されるなど、関連領域で動きが起きるたび、「もう電波でできることはやり尽くした」と言われてきました。
「ただ、実際には、衛星放送や携帯電話の登場など、無線通信分野の進化は止まりません。そして近年のパーソナル化やモバイル化の流れのなかで、無線通信の重要性はむしろ高まっている。今後も研究のテーマは無限に広がるといっていいでしょう」
事実、安藤教授が研究する導波管アンテナに限っても、衛星通信アンテナや自動車の衝突防止レーダー、さらにパソコンやスマートフォンの無線LAN通信など、活用の幅はますます広がっています。
無線通信の役割は、遠方へデータを送ることだけではありません。ミリ波を活用すれば、ケーブルを使わず10秒弱でDVD1枚分のデータを伝送可能。駅でSuicaなどをゲートにタッチする感覚で、瞬時に大量のデータを取得できます。安藤教授が現在進めているのもこの研究。将来的にはテラヘルツ波など、さらに高い周波数の活用も考えられています。
「東工大では、光通信の実用化を先導した歴史がありますが、これに加え現在は長波や中波といった低い周波数からミリ波などの高い周波数で、様々な周波数の研究者が揃っている強みがあります。学内の研究者が集まって、直流から光、X線までを含めたすべての無線周波数を駆使した『オールバンド通信』のプロジェクトも提案中です。将来はあらゆる周波数で、東工大が世界をリードできればと思っています」
導波管スロットアンテナ。車など移動体上で衛星放送を受信するために実用化もされている。
1979年、東京工業大学大学院理工学研究科電気電子工学専攻博士課程修了。
電電公社横須賀電気通信研究所を経て、1982年に東京工業大学に。
助手、助教授を務めた後、1995年より現職。
電磁界理論、アンテナ工学、無線通信が専門。
平面の導波管アンテナについて、損失をできる限り抑えながら小型化する研究を行っています。目に見えない電波の流れを上手く操っていくところに、アンテナ研究の面白さがある。懸命に考え、思い通りの成果が出るとやりがいを感じます。
専門は電磁界の高速解析法で、周波数が高くなるほど増える電波の解析時間を、シミュレーターやプログラムを使いながらどう縮めていくかを研究しています。試行錯誤を重ねてよい結果が出て、それを理論で上手く説明できると嬉しいですね。
(2014年取材)