世界トップレベルの「ナノテク」が生み出す科学技術の未来
大学院理工学研究科物性物理学専攻
髙柳邦夫 特任教授
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透過型電子顕微鏡は一般の光学顕微鏡とは異なり、光ではなく電子を物体に当てて形をとらえる。電子銃は光学顕微鏡の光源ランプにあたる部分。ここから試料に向けて電子が発射され、試料を通り抜けた電子がナノの世界の映像を作り出す
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非常に細い「探針」で物質の表面をなぞり、ナノレベルの構造を捉える顕微鏡。探針で原子を動かすこともでき、ナノ物質の作製も可能。髙柳研究室オリジナルの顕微鏡では、透過型電子顕微鏡をベースに走査トンネル顕微鏡を接続している
100万ナノでミジンコ1匹分
理科の教科書などでもおなじみのミジンコ。体長1mmほどのこの小さな生き物は漢字で書くと「微塵子」となるのですが、「微塵」の「微」と「塵」は小さな単位を表す言葉でもあります。ミジンコの大きさは約1mm。さらにその1,000分の1が「微(び)」、一般的な単位ではミクロ(マイクロ)と呼ばれています。さらにその1,000分の1が「塵(じん)」、これが「ナノ」の単位になります。このナノの世界は、物質を構成する原子の大きさの世界です。これはミジンコを見るような光学顕微鏡レベルの装置では見ることができない、本当に小さな世界なのです。
ナノのレベルで物質を操作することで、これまでにない性質の材料を得る技術_「ナノテクノロジー」の研究が現在、非常に重要視されています。物質は原子が集まってできていますが、ナノサイズの塊になると、物質全体の原子の数に対して、物質表面にある原子の数が多くなります。物質の性質は、物質表面にある原子の反応性に左右される面があるため、ナノサイズの物質は、同じ物質でも大きな塊の物質とは異なる性質を持つ、つまり物性が変化するのです。
電子を毎秒50,000kmで動かすナノワイヤ
このナノテクノロジーの分野において、その最先端の研究を担ってきた研究者が東工大にいます。それが理工学研究科物性物理学専攻の髙柳邦夫特任教授です。教授のグループが作ったナノ物質のひとつに、金の原子でできた金ナノワイヤがあるのですが、これは繊維の直径がなんと約1nmという想像もつかないような小さなサイズです。金ナノワイヤはナノサイズの電子回路の配線への応用が期待されています。IT機器はどんどん小型化しているため、その配線も小型化する必要がありますが、ナノワイヤはこの「小ささ」だけに利点があるわけではありません。一般の電導線を人間社会の道路に例えるとすれば、それは広い歩行者天国のようなもの。多数の電子はあちらへ行ったりこちらへ行ったり、互いにぶつかり合いながら進むため、全体としての速度は毎秒1m程度になってしまいます。一方のナノワイヤは電子1個だけの狭い専用道路と例えることができ、そのため電子は毎秒5,000kmの速さで進むことができます。このような量子化伝導と呼ばれる電子の振る舞いを可能にするナノワイヤは、きわめて高速、高効率かつ省エネな電子回路の基礎要素になるのです。現在、髙柳教授の研究を軸に、世界中の研究者が実用化を目指しており、「10年もしないうちに実用化されるだろう」と髙柳教授は予測しています。
髙柳教授が研究しているのは、ナノ物質の作製だけではありません。作製とその分析のために必要な道具、顕微鏡の開発も自らの手で行ってきました。
ナノテクの未来を支える顕微鏡の開発
髙柳教授の行ってきた研究に、薄膜成長があります。物質表面に薄い膜をつくるこの研究は、車や宇宙船などの外部素材の開発にはなくてはならない基礎研究です。この薄膜の構造を観察・分析するために、従来の透過型電子顕微鏡(TEM)よりも正確に表面を測定できる、超高真空TEMを開発。その後、当時「謎」といわれていたシリコン結晶の表面構造モデルを1985年に発表しました。さらに1995年、超高真空TEMに走査トンネル顕微鏡(STM)を組み合わせた顕微鏡を作製し、リアルタイムでナノ物質の形成過程を観察する手段を得ることにも成功しています。走査トンネル顕微鏡は、物質表面の構造を原子レベルで捉えることができる顕微鏡であると同時に、原子をも操作することができる"ナノの加工機"と呼べる装置。実は金ナノワイヤもこの特性を活かして作製されたものなのです。さらに現在では0.05nmという世界トップレベルの解像度を誇る超高真空TEMの開発を進めています。この顕微鏡は今後のナノテクを支えるツールとなることが期待されています。
原子と人間社会の共通点
「装置を正しく理解できていないと、世界トップレベルの研究はできない」と語る髙柳教授ですが、実は「高校の時、物理は嫌いだった」という意外な過去も判明。高校生の時、東工大の数学の先生による出張講義に感銘を受け、数学を志して東工大に入学。しかしその先生は入れ違いで退官していました。2年生になるときの進路選択では、「建築学」へ進むことも考えたとか。幼い頃からものをつくることが好きだった髙柳教授には、デザインや構造を考えたり、つくったりしていくことがとても魅力的に思えたのだそうです。しかし、よくよく調べてみると、実際の研究分野の選択ではデザイン学か構造力学なのか、専門分野をどちらかに決めなければなりませんでした。髙柳教授の進んだ「物理学」研究の世界は、当初志していたという「数学」の力も発揮でき、何より、顕微鏡の開発などを含め、自身の興味・関心、得意分野を十分に活かして総合的に研究に取り組むことのできるものでした。
髙柳教授は研究室で指導する学生に「ナノの世界は人の世界と似ているところがある」とよく伝えているそうです。なぜかと尋ねると、それは「"原子"と"人"の動きには似ている部分があるから」なのだそう。原子は集まるとその相互作用として原子の集団の性質や動きが現れてきます。そして外部からの刺激を受けると、平衡を保ちつつ動いている集団がある方向にそろって動き出します。確かにこれは人の世界でも共通していること。まさか原子と人間社会との間に共通点があるとはホントにビックリです。
髙柳教授の現在の一番の悩みは、限られた時間の中で、研究室の学生一人ひとりをみっちり指導をする難しさなのだとか。髙柳教授はナノの世界の原子だけではなく、次世代を担う学生も刺激し、動かし続けているんですね。
特任教授・名誉教授 髙柳邦夫
- 現在は量子コンタクト、ナノワイヤ、固体表面の再構成・相転移などを主な研究課題として活動。
- 21世紀の"知の創造"を目指す。
(2008年取材)