イマを創る、先輩がいる — 鈴木翔さん
「東芝に鈴木翔あり」と呼ばれる人材になって世界を舞台に活躍したい
株式会社東芝 電力システム社
原子力事業部 原子力調達部
鈴木 翔
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幼い頃に父親がくれた本が、エネルギーの世界に興味を持つきっかけになった。マンガやイラストでわかりやすく原子力用語が解説されている。
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4歳から始めて現在も続けているピアノ。高校時代は受験勉強と並行してショパンの大作「英雄ポロネーズ」に打ち込んだ。
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商談の場に欠かせない名刺入れは奥様からのプレゼント。
- 上:幼い頃に父親がくれた本が、エネルギーの世界に興味を持つきっかけになった。マンガやイラストでわかりやすく原子力用語が解説されている。
- 中:4歳から始めて現在も続けているピアノ。高校時代は受験勉強と並行してショパンの大作「英雄ポロネーズ」に打ち込んだ。
- 下:商談の場に欠かせない名刺入れは奥様からのプレゼント。
- すずき・しょう
- (東京都出身)
- 2002年
- 東京工業大学 第3類 入学
- 2005年
- 飛び級で同大学院 理工学研究科 化学工学専攻に入学
- 2006年
- 同博士後期課程に進学
- 2007年
- 米・ミネソタ大学へ留学
- 2009年
- 博士後期課程を修了
株式会社東芝 電力システム社入社
東工大で化学工学を専攻し、博士号を取得後、東芝では一貫して、原子力事業に従事。入社当初は化学エンジニアとして設計部門に、現在は調達部門に所属し、福島第一原発放射性廃棄物処理プロジェクトにかかわり続ける鈴木翔さんに、現在までの歩みを聞きました。
chapter1:化学が身近な幼少期
食卓でしゃぶしゃぶを囲んでいると「肉は泳がせたほうが熱が早く通るだろう。これは対流熱伝達といって…」と説明が始まるような家でした(笑)。父は大学教授で、専門が化学工学。自宅に父の研究室の学生が集まって化学談義を繰り広げることもしばしば。化学への興味と研究への憧れを抱くのは自然な流れでした。小さい頃から大学祭にも遊びに行っていて、研究室見学で見たプラズマの光の美しさは強く印象に残っています。
chapter2:大学での大きな収穫
大学では、関口秀俊教授の研究室に所属し、低温プラズマを使った新しい化学合成プロセスの解明に取り組みました。博士号取得を目指していた一方で、1日も早く社会に出て活躍したいという思いも強く、学部3年で飛び級して大学院に進学。研究や論文執筆など忙しさは増しましたが、やらなければならないというプレッシャーはむしろ、研究に打ち込む原動力になりました。
幸運なことに、従来より短い期間で博士号取得が可能になる博士一貫教育プログラムが進学のタイミングで新設されました。3~6ヶ月の留学が必須になっていたため、いつか海外で研究してみたいと考えていた私にぴったりでした。留学先の米・ミネソタ大学では、熱プラズマの研究を通して自己主張の大切さを実感しました。文化や習慣の異なる相手と物事を進めるには、求めていることをはっきりと言葉にしないと伝わらないんです。海外の研究環境や仕事の仕方を知れたことも、現在に活きています。
—専門の枠を超えた俯瞰力と視座を学ぶ
化学工学は、いわゆる「化学」のイメージとは、ちょっと違うかもしれません。研究室では、白衣でなく作業着でいることがほとんどで、化合物を効率的に生産・分解する仕組みをつくります。基礎研究を、実社会で活用できるように橋渡しする学問ともいえます。ですから化学エンジニアには、プラントを建造するような場合には、機械や材料、土木など様々な分野の専門家の観点を理解し、プロジェクト全体を俯瞰してリードしていく力が必要になります。
学生時代は、毎日異なる専攻の友人とランチを食べたり、経営についてなど他学科の授業を受講したり、とにかくいろんな視座を学ぶように心がけました。同じプラズマを研究テーマにする電気電子工学科と協同で勉強会をしたこともあります。化学工学ではプラズマを「どう使うか」を主眼としているのに対し、電気電子工学は「どう発生させるか」という方向からのアプローチ。同じ物事でも立場が違えば見え方が変わることを学ぶ良い機会になりました。
chapter3:設計し、調達する化学エンジニア
エネルギーとの関係も深い化学工学。学ぶうちに社会インフラの最上流を支える仕事に携わりたいと考えるようになっていました。特に関心があったのが、当時日本の電力のベースを担っていた原子力発電。その希望が叶い、入社した東芝では設計者として福島第一原子力発電所に駐在し、放射性廃棄物処理プロセスを、より安全により効率的に処理する改善計画を進めていました。
そんな矢先に東日本大震災が発生。放射能を帯びた汚染水の回収や、汚染水から放射性物資を除去する多核種除去設備(MRRS)の設計に従事することになったのです。私は現場に駐在し、必要とあれば防護服を着て調査や分析を行いました。精神的にも肉体的にも過酷な環境でしたが、震災前からお世話になっていた福島県富岡町の被災を目の当たりにしていたので、この仕事をやり遂げなければ、いや絶対にやり遂げる!という一心でした。
—国や機関、企業をつなぐハブのような存在に
設計部と調達部との兼務が命じられたのは、MRRSの稼働を控えた時期。東芝がヨーロッパで初めて計画する原子力発電所プロジェクトに加わるというものでした。前例のない土地で新規パートナーを開拓し、折衝していく必要があり、設備設計を熟知した立場から資材調達を行うよう辞令が出たのです。もともと経営マネジメントや金銭の収支に直接関係する仕入れ業務に興味がありましたし、国内外のプロジェクトに携わりたいという思いもあり挑戦しました。
現在は国際調達を担うバイヤーとして、自ら設計したMRRSに再び携わっています。ものとお金の流れを把握できる立場で、設計者だったときには部分的にしかかかわれていなかったプロジェクトの全体にかかわれることが喜びです。
設計、調達と異なる部門を経験してきましたが、東工大で学んだことは何ひとつ無駄になっていません。化学の専門知識はもちろん、異分野の専門家との協業、そして海外の研究環境をイメージできることや自分の考えを主張する術など、多様な人とやりとりする力を培うことができました。よく誤解されがちですが、コミュニケーション力が高いというのは、口が達者であることではありません。相手の要求を察し、的確に応える能力こそ、本当の意味でのコミュニケーション力なのではないでしょうか。
ゆくゆくは「東芝に鈴木翔あり」と言われるような人材になりたいですね。自ら意思決定する立場でプロジェクトを指揮して、世界を舞台に活躍するのが夢。様々な国や機関と東芝をつなぐハブとなって、新たなエネルギーのあり方を発信していきたいと考えています。
(2015年取材)