科学技術で「考古学」に新風を吹き込む
東京工業大学博物館
亀井宏行 副館長・教授
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送信機から500MHzの電波を発し、受信機で反射波を捉えることで地下約3mの世界を明らかにする。世界各地の探査現場に運ぶため分解可能。探査幅は50~100cmなので、探査範囲を行ったり来たりして測定する。
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幅約1.5mもの紙に印刷する事ができる。亀井研ではレーザースキャンしたピラミッドの画像や、広範囲に散らばる移籍や水路等の情報をまとめた巨大な地図を印刷し、そこから新たな情報を読み取る。小さなパソコンの画面では出来ない作業だ。
「サイエンスとしての考古学」の確立を目指して
地中に埋もれた過去の世界──。人々の歴史を遺跡から明らかにする考古学研究に携わる研究者が東工大にいます。理工系大学で「考古学」というと意外に思われるかもしれません。しかし、「それは多様な科学の領域が融合する総合科学」と主張するのはその研究者、亀井宏行教授です。
例えば、あるところで遺跡らしきものが発見されたとき、もちろん実際に発掘を行えば内部の状態を知ることができるでしょう。ただ、それには莫大な費用や労力がかかりますし、場合によっては遺跡の破壊につながりかねません。そんなとき、地中レーダーや磁気、電気による物理探査技術によって、事前に遺跡の大きさや形を把握できたらどうでしょう。効率的で質の高い発掘ができるに違いありません。まさにそうした科学技術を活用し、「サイエンスとしての考古学」を確立することを亀井教授は目指しています。
例えば亀井研究室では、エジプト南部のハルガオアシスでの考古遺跡における「砂漠化と異民族侵入と灌漑技術の関係」について研究を行っています。エジプトがある北アフリカは5000年前頃から砂漠化が始まったとされますが、そんな環境でいったい人間はどのように生活を成り立たせてきたのでしょうか。実はそこには、「征服」が関係しているのかもしれないのです。この地は、約2600年前にアケメネス朝ペルシャが征服。その時、ペルシャ人がもたらしたのがカナートと呼ばれる地下水路なのです。さらに約2000年前にはローマ帝国がエジプトを支配し、水道技術とその管理法を持ち込みました。これらの人と技術の流入こそが、砂漠域での持続的な生活を可能にしたと亀井教授は仮説を立てています。すでにハルガオアシスの土壌調査から、この地域の乾燥化の時期を明らかにするとともに、物理探査や衛星画像解析によって地下水路や水源の発見に成功しています。
大切なのは「観察力」
亀井研究室が行うのは、電波や磁気による地中探査だけではありません。例えば3次元レーザースキャナは、遺跡を5mm単位で測定し、コンピューター上に立体構造を再構築することを可能にしました。ハルガオアシスの遺跡も農業開発のためにその姿が失われつつあるため、データ化して後世の研究に役立てる試みが行われています。
このように工学的技術を積極的に用いた考古学は、まさに人文系と理工系の融合研究といえます。もう一つ、考古学には重要なものがあると亀井教授は指摘します。それは、「観察力」です。遺跡の調査においても、幅広い科学知識をもとに土壌や周囲の植生、生き物、気候、季節など自然界のあらゆるものを現場で時間をかけて観察する。そうした作業によってはじめて、遺跡を解釈し、過去を現在によみがえらせることが可能になるのです。「何かの事実が判明した瞬間より、むしろ試行錯誤しながら考えているときが一番面白い。それは、様々な技術を使いながら、仮説を立証していく警察の科学捜査のプロセスと似ているかもしれません」と亀井教授は言います。
子供の頃から考古学や生物に興味を持ち、博物学者を目指していた亀井教授でしたが、高校の先生に「就職が難しい」と言われて東工大の電子工学科に進学。それでも考古学への夢を捨てきれずにいました。そこにチャンスがやってきます。東工大で助手を務めていた1986年、東工大で進行していた「製鉄」の歴史を研究するプロジェクトに参加する機会を得ました。メンバーは歴史学、科学史、材料系の専門家達。そして製鉄遺跡を探すために、探査技術も必要になりました。これこそ亀井教授が、考古学の分野へ足を踏み入れたきっかけです。
夢を繋げていくこと
このプロジェクトの後、本格的に考古学の領域で活動していくのは、容易ではありませんでした。専門研究というのは、概して他分野の研究者を土俵に入れたがらないものです。まして電子工学といえば、考古学にとってみればまったくの異分野です。そうしたなかで"専門"の高い壁を崩したのが、ある弥生時代中期のある遺跡調査でした。亀井教授は探査データから、「遺跡は円形周溝墓である」と分析。当初、他の考古学者は「その時代にこのように大きな円形周溝墓はない」という従来の知見から、その主張を受け入れなかったのですが、実際に発掘してみると円形周溝墓だったのです。こうした実績を積み上げることで、徐々に考古学者に認められ、頼られるようになってきた。これが亀井教授の歩みです。
「先入観がなかったからこそ、発見が可能だったのだと思います」と亀井教授。しかしながら、単なる地中レーダー技術者では得たデータを考古学的に解釈することはできません。考古学への関心、鋭い観察眼があったからこそ、他の人に見えなかったものを見い出すことができたのです。
博物学者にあこがれた亀井教授は今、東工大博物館の副館長も務めています。ともすると狭い専門分野に閉じこもりがちな東工大生に、多様な学びができる環境を提供できないかと、いつも考えています。
ちょっと知っている、ということが世界を広げる。面白いと思った夢をずっと繋いでいけば、いつかそれができるようになる。亀井教授の言葉です。
教授 亀井宏行
- 1981年に東京工業大学大学院総合理工学研究科修了。
- 東京工業大学博物館の副館長(博物館部門長)を務める。
(2012年取材)