抗がん剤からカテキンまで。有機化合物を人の手でつくりだす

大学院理工学研究科化学専攻 鈴木啓介 教授

大学院理工学研究科化学専攻

鈴木啓介 教授

  • ドラフトチャンバー

    シャッター式の強化ガラス窓で覆われた実験台。空気を内部上方から吸い出すため、有害な気体にさらされずに作業することができる。研究室には13台ものドラフトが並んでおり、規模の大きさがうかがえる。

  • ロータリーエバポレーター

    液体中に溶けた必要な物質とその他の不要な物質とを分離する。ナス型フラスコに入った液体中の不要な物質を減圧などによって揮発させたうえで、冷却容器で冷やし、液体にして分離する。元のフラスコには必要な物質だけが残るという仕組み。

私たちの生活に深く関わる有機化学物

健康飲料などでおなじみのカテキン、細菌やがん細胞を殺す薬、さらには毛生え薬まで——これらはすべて有機化合物と呼ばれる物質からできています。実は、私たちの体も、水とミネラル以外は有機化合物で構成されているのです。その昔、有機化合物は「生命体のみが生み出すことができる物質」と定義されていました。これを生気説といいます。しかし1828年にウェーラーが尿素を合成して以来、生気説の呪縛は解け、今では広く"炭素を含む化合物"と定義されるようになりました。これはあくまで偶然の出来事だったのですが、その後160年間の化学の進歩により、今では意図する有機化合物をいかに自在に合成するか、様々な研究が行われるまでになっています。安く手に入る単純な物質から、一挙に複雑な有機化合物をつくり上げる方法の開発、また同時に無駄な廃棄物を出さないことなどが、現代の有機合成化学研究の焦点になっています。必要な物質を効率よくつくり出せるようになれば、時間やコストの削減が可能となり、人々の生活への還元につながります。また、健康と福祉の観点からは、医薬品を純度よく合成することも求められているなど、この分野の研究は私たちの生活と密接に関連しているのです。

日本の有機化学研究を牽引する東工大

東京工業大学には、ビタミンB2(1951年)や、胃薬などに使われる熊の胆の薬効成分であるウルソデオキシコール酸の合成(1954年)に成功したという歴史があり、日本の有機化学研究を牽引してきました。鈴木啓介教授は、今この有機化学研究を世界的にリードしている研究者です。鈴木教授は様々な手法を開発してきましたが、中でも有機化合物の骨格をつくる革新的な方法が注目されています。それは合成の出発物質として、分子の「ひずみエネルギー」(分子が変な構造になったときに蓄えられたエネルギー)を利用して効率よく反応を進め、スムーズに合成を行うというもの。これにより抗がん剤ギルボカルシンや抗生物質アクアヤマイシン、抗がん剤TAN-1085の短工程合成に世界初の成功を収めたのです。

また、有機化合物の性質を左右する「骨格」から伸びる「枝」構造を、右側につけるか左側につけるか、という課題にも挑戦しました。本来、この「枝」が右にある物質ができるか、左にある物質ができるかの確率は2分の1ですが、優れた性能の物質をつくるには、どちらか一方だけを合成する技術が必要です。鈴木教授は新しい発想で適切な一方の合成に成功。その手法を用いて抗HIV効果があるベナノミシンB、抗がん剤フラキノシンなどを合成しました。

さらに、お茶の健康成分であるカテキンの合成も教授の最新研究のひとつ。研究を進めるなかで、これまで全く異なる性質を持つと考えられてきた糖とカテキンには共通の特徴があることを見つけました。両者とも化学反応を支配する部分がプラスの電荷を帯びていたのです。これは糖の合成で使われる手法がカテキンの合成でも使えることを意味する画期的な発見で、急速に研究が進んでいます。

有機化学物研究が人との出会いを生む

ここまで鈴木教授の研究を簡単に紹介してきましたが、実際の合成は容易なものではありません。成果に至るまで、実験の99%は失敗といっても過言ではなさそうです。教授は、それを山登りに例えます。「山頂を目指す道はひとつではありませんが、要は、誰も登ったことのない山に、新しい道をつけていきたいんです」。また、天然物の生合成過程とは異なる合成過程を選ぶ場合もあれば、まったく役に立たない(かもしれない)物質をつくることもあります。鈴木教授いわく、「面白い形をしたパズルをみたら、つくってみたくなる心境に似ている」のだそう。一見寄り道のようにも思える研究が、有機化学の原理の解明に、これまでにない合成法の開発に、そして新たな性質をもつ物質の発見に、必要不可欠なのです。紆余曲折を経てようやくできた合成サンプルと天然物とを比較し、同じ物質であるというデータが出た瞬間、無上の喜びを感じるそうです。

鈴木教授が研究成果以上に期待をこめて語るのは、有機合成化学がきっかけで様々な人と出会い、そこに長く続く交友関係が生まれること。「自分の研究背景をきちんと持って他の研究と交わると、互いに影響を及ぼしあって新しい展開につながることがある。その意味でも人との出会いは本当に不思議で可能性があると思っています」。

鈴木啓介

Profile

教授 鈴木啓介

  • ハイブリット型天然物の合成や高選択的有機合成反応の開発などを研究。
  • '08年にはノーベル賞受賞者の多くが名を連ねるドイツのフンボルト賞を授与される。

(2009年取材)

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東京工業大学 総務部 広報課

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